子なし専業主婦のクソ日記

話す人がいなくて寂しいから書くブログ

心療内科の口コミと、知識の限界

私引っ越しの多いメンヘラ故にけっこうGoogleだったりで医者探すのに口コミよく見るのよ。で、その良し悪しにある一定の基準みたいなのが見えてきた気がしてる。それは「寄り添って話を聞いてくれている感」があるかないかで評価が雲泥の差になるということ。というのは何科でも一緒かもしれないけども、心療内科は特にそれが顕著だよねって話。というかもうそれが殆どなんじゃね?くらいに思う。話聞いてもらいたい、優しくされたい、分かってもらいたい。まずそれがあってこそなのに、初診から素っ気なさとか、ロジカル感全面に出されると、この人冷たい!!ってなるよねだいたい。となるともう、縋る思いで行ったのに逆に傷ついた、この人信用できないってなるわけ。なんという昔の私。

 

だいたい心身どっちでも病んでたら、弱ってるもんだからいつもよりナイーブになっているのは当然なわけだからそりゃ人の優しさ感じたい。特に孤独になりがちなこんな時代だしね。結局愛想いいとか、人柄が良さそうに見えるかどうかって大事。特に町医者なんて客商売的側面大きいよなぁ。

 

今私が通院している心療内科は割と新しくて、通い始めは口コミなんてなかったんだけど、最近ふと気になってGoogle見たら、見事な低評価wでも少数はそんなことない!って。予想通りすぎたこれ。あんまり愛想よくないんだよなぁ、先生。でもね、人柄悪いわけではないんよ、しばらく通ったらわかる。しばらく通えたのは、私が愛想とか表面的優しさとか求めなくなったからっていうのも大いにあるけど。話したらあとはそっちの判断に任せる。大事にしてるのは、こっちから疑問聞いて意見を求めること。その答えを私は期待してる。そこにGoogleとかチャットGPTにはない、生身の人間が思考して言語化した何かを求めているのだと思う。ていうね。どうせ話に行ってるんだから、医者を能動的に使うのだよ。

 

でさ、知識ってほんと大事だと思う。ある程度詰め込んだらそれだけで認知行動療法みたいになるもん。思考回路変わるもん。それだけで体感かなり楽になった。でもね、もっともっと良くなりたいと思って、知識詰め込んでるときにやっぱこれ以上いいやって、ふと我に返ることごある。どうせ知識って限界あるからもういいやってなる。そうなったのは、精神科医の自殺率パネェって話を知ったときから。

その知識を自分に応用できるかどうかが一番大事なところなんだなって。そして応用するのが一番難しいんだなって。それこそ、その人が置かれた環境による所も大きいし。さらにそれによる効果だってその人の素質に寄ったりする。

 

思考回路変わったって、こんなふうに夜更かしして駄文書いてるようじゃ根本的なところはよくなんないからね?ほらその証拠にまだ通ってるもん心療内科

 

冷たく感じる医者もさ、もしかしたら患者に飲み込まれぬよう距離を取るためにそうなってるのかもね?

 

昔、心療内科の看護師とプライベートで仲良かったことがあって話をしたことがある。地域の心療内科の話をしていて、「うちのクリニック、儲け主義だからあんまりオススメしないよ」って教えてくれた。そのときは、へーそうなんだぁ〜、じゃあそこには行かないでおこう。なんて思ったけど、今はそれでもまぁいいんじゃね?それくらい割り切ってても、相性合えばそれでいいのかもと思ったりする。

 

ある程度知識ぶっ込んだら、あとは健康的な睡眠!運動!食事!可能なら環境良くする!

 

あとは…金だ!金!

と、最終的に最悪な結論に至っておしまいっと。