子なし専業主婦のクソ日記

話す人がいなくて寂しいから書くブログ

みんな子供がいて不思議な感覚になる

最近人と会ったり、話したりする機会が増えた。だいたい同年代30代半ばで、赤ちゃんだったり小さな子供が1人2人いたりする。もちろん例外もいるんだけども。

 

あまり大勢の空間は好きじゃないけど、やむを得ず?行かないといけないこともあって、行く前は予期不安でめーっちゃくちゃ嫌なんだけど、最近は自分のコミュ障を受け入れているし、経験と年齢による図々しさでけっこう平気になってきた。

 

馴染めないことへのストレス対策として、自分のコミュ障具合とかぼっちになることを意識するより、そのコミュニティや人物を分析的に見るように意識するようにしている。

ああこの人は搭載エンジンが違うな(エネルギッシュな人だな)とか、似てる人が多いのはやっぱりコミュニティが一緒だからだよなとか…

 

へぇって。なる。

 

そして、この年代は交流する上で子供というツールがある人が多いからそれは便利だなとか思ってしまう。話題もそうだけも、ぼっち予防にもなる。コミュ力高い人は子供がいようといまいと、誰とでも話せる。でもそうじゃない場合、母親が普通もしくはコミュ障の場合、子供の世話をすることで誤魔化せるから良いかもと思ったりした。

それにしてもやはり恵まれたコミュニティのみんなは子供産むんだなぁと実感。なんか不思議な感覚になった。一応私はその恵まれたコミュニティに属しているんだけども、やっぱ一人浮いてるなって。コミュ障とか、ぼっちとか、そういうレベルではなく、内面的な根本的な部分が違うんだなぁと。

 

てな感じで、子供連れ家族がいいなぁと思えない、子供欲しいと思えない自分に悩んだこともあるけど(今でもたまに思う)、最近は不思議な感覚になることが多くなった。みんなどういう動機で子供を産む人生を選んだんだろうって。遺伝子の仕業か?なんとなくか?いろいろあるんだろうけど、まぁそんなことはどうでもいい。とりあえず、そこにあるのは大きな人間と小さな人間がいるという事実。

 

で、私は多数派とは違う人生を歩むわけだ。ただそれだけだ。

 

ということで、ツールとしての子供とか冷めた言葉で言ったけど、抱っこさせてもらってかわいいなぁと思うこともあるし、一人間として、保護対象として尊重している。それだけは言わせて。無条件に子供好きじゃないと青い血が流れた人間だと思われるのが嫌なもので。