子なし専業主婦のクソ日記

話す人がいなくて寂しいから書くブログ

みんなの願いごとを見たとき自分の小ささを知りました

今日とある神社に行った。

そこの神社にはミニ絵馬コーナーみたいなのがある。一般的な大きな絵馬って私はなかなか書く気にならないんだけど、ミニっていう気軽さもあって久々に願いごとを書いてみた。

 

虚弱体質なので、「心身ともに健康」であることが私の不動の願い。何書こうかなと思って真っ先に思いついたことだった。

 

ミニ絵馬は自分で木に括り付けるんだけど、するとまぁいろんな人の願いごとが目に入るのね。で、気になったからひととおり願いごと見てみた。だいたいみんな家族だったり身近な人の健康と幸せを願ってる内容だった。その次が自分の目標だったり夢だったり合格祈願だったり。ほとんどの願いごとが自分のことや自分の周囲の人の成功や幸せを願うものだった。みんなそんなものよね〜なんて思ってたんだけど、本当に少数なんだけど趣向の違う願いごとがいくつかあって久々にハッとさせられるものがあった。どんな願いごとかというと…

 

・日本がいい国でありますように

・コロナがおさまりますように

・緑が守られますように(クソみたいに無駄な公共事業の犠牲になりませんように)

 

というもの。個人的に心打たれた。何がって、自分の意志で絵馬にお金を払って全体のことについての願いを書ける精神性に。素直にこんなこと書ける人になりたいと思った。私なんてもう参拝する時点で自分のことしか考えてなかったし、おみくじで大吉引いて大喜びして、絵馬に何書こうか考えるときだって自分のことしか頭になかった。もちろん日本にはいい国であって欲しいし、コロナには収まって欲しいし、無駄な公共事業で緑は破壊されてほしくないって私も思う。けど、お金払って真っさらの絵馬を目の前にしたとき、頭の中自分の欲ばっかりになった。せっかくだからあやかろうみたいな気分にしかならなかった。

 

もちろん、自分や自分の身の回りのことを思って願うことや祈ることも素敵なこと。否定する気なんてさらさらない。私が心身共に健康でありたいのもとても切実だし。なーんにも間違ってない。

 

ただ、お金を払って買った絵馬に全体のことを願い祈ることを書く人はなかなかいないっていう事実がそこにあった。ここで全体のことに目を向けられる視点を持てる人っていうのはシンプルに素晴らしい精神性の持ち主だと思った。

 

これが地域の七夕祭りとかでタダでいくつでもいいから短冊に願いごとを書いてくださいって頼まれたら話は別かもしれないけどw

私ならもし自分に関する願いごとが思い浮かばなくてまぁでも世の中平和であってほしいよね、なんて思ったとしてもわざわざ絵馬を買って書いたりはしないだろうと思う。

 

ただの価値観の問題なんだけど、なかなか余裕を持ちづらいこのご時世で、なんだか自分に欠けたものを見せつけられた気がした。ただそれだけの話を長々と綴ったわけだけど、今日このとある神社に足を運べたことは有り難かった。